こんにちは。総監督の米本です。
今回は個人的な話に全振りして書きます。
実はトラオムを始めてからというもの、私は何度も音楽をやめたいと思ってきました。
何のために音楽しているのか?
自分が音楽をする意味はどこにあるのか?
家で一人で音楽を楽しんでいれば十分じゃないのか?
そんなことを考えると、やめたくなるんです。
正直な話、一部の気持ちは自己満足です。承認欲求とかそういうのを満したいという気持ちが多く見積もれば50%ぐらいはあります。
でも、そんなことのために音楽をするのなら、これだけ多くの人を巻き込む必要はないし、演奏会にたくさんのお客さんを呼ぶ必要はないと個人的には考えているのです。
しかし、今も続けているし、これからも何があっても続けたいと思う理由は15歳のときの出来事にあります。
15歳のとき、当時中学3年生だった私は初めて指揮者というのを経験しました。
右も左も分からなかったので、トラオムにも縁のある三好先生に指導していただいたのだが、最初に言われたのが
「指揮者の仕事はホールにいる全員を喜ばせる(感動させる)ことなんだよ」
ということでした。
まだ素直だった米本少年は、教えられた通り、お客さんを喜ばせる方法を考えました。
それまでヴァイオリンを習ってきていたが、お客さんを喜ばせることなんて考えたことはありませんでした。
レッスンで先生に言われた通り、音程やリズムを直し、「こうしなさい」と言われた奏法を守ることしか考えませんでした。
発表会では、それらをミスなくこなすことができるかどうかが不安で緊張しました。
それなのに、いきなり「君の役割はお客さんを喜ばせることだ!」なんて言われて、最初は手探り状態。
しかも、指揮のレッスンだっていうのに、棒の振り方なんて教えてくれやしない。
ひたすら、お客さんを喜ばせるための「作戦会議」……
こうして、15歳だった僕なりに本気でお客さんを喜ばせようと挑んだ本番。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の「こうもり」序曲を振り終えたときでした……
今までに感じたことのない空気感の拍手を感じました。
それは、発表会のときにいただいていたときのような、
「よくやったね!頑張ったね!」
という温かみのある、ねぎらいの拍手ではありませんでした。
もっと熱に満ちた
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
と感動の入った拍手でした。
この瞬間、私には音楽をやる目的が出てきました。
「こんなに喜んでくれる人がいるなら、もっと喜ばせるために音楽をやろう!」
実際には「ねぎらい99%/感動1%」の拍手だったのかもしれませんが、このとき感じた空気は、私に一生音楽をやる理由を与えてくれました。
さて、それから7年以上が経ちますが、ねぎらいと感動の比率はどうなのでしょうか?
まだまだ課題は残されていそうですが「感動100%」の拍手が生まれるコンサートを目指して、今回の「ヘンゼルとグレーテル」演奏会を作っていきたいと思います!
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三好孝市 (土曜日, 04 1月 2020 18:29)
なんかうれしいな!!
その言葉は、いまでもいつでも心にあり、だからぼくも50歳過ぎても音楽家やっています。
『がんばってね!!』
いや、なんかちがうな。。
『これからも一緒に音楽やっていこう!!』